感覚と知覚

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なんだか、似たような言葉ですが、完全に違いがあります。感覚は、何かしらの感覚受容器で外界からの刺激を受けた時に、それが情報として身体に取り入れられること。知覚は、似ているかもしれないけれど、そうやって得られた情報が、大脳皮質というか、「あ、そうだね」っていうレベルまでに届けられたこと(意識に上がってくる)。

あんまり、違いがないんじゃね、って思う方もいるかもしれませんが。

全ての感覚を知覚するっていうと、情報量がとても多くて、死亡すると思います。
というか、ほとんどのことを自動的に処理していて、意識に上がってくることなんて、ほんの少しかと思います。

水を飲んだ時に、まぁ、ある程度意識して、コップを持つかもしれませんが、あとは、自然に口元に持って行って、ゴクンとして、知らないうちにコップをテーブルに戻している。そういうものなんですよね。

それがスムーズにできることが理想。
どんな動作も。頭の中で思ったことであれば。
それが出来なくなっちゃうことに問題があるのですが。それをいかにスムーズにやるかにも焦点を当てられて。それが、ムーブメントの探求の幅ですね。
かっこよく水を飲む、アホみたいな課題ですが、それが達せされた時は、素晴らしいし、気持ち良いと思います。多分、吸収率とか、生理学的な方面にも良い影響を及ぼすと思います。

ロルフィングのセッションでは、もしかすると感覚に影響を与えることにより、焦点を持っているかもしれないし、ロルフ・ムーブメントのセッションでは、知覚に影響を与えたいと思っているかもしれません。(この一文が一番挑戦的だな。)

そんなに、二つのことを分ける必要はないとは思うのですが、言葉的なことと、一般的な知識として、違いがあると思うので、ちょっと、書いてみました。

(2019年8月16日)