自分(アイデンティティ)

「自分が何者であるか」は、とても身体のあり方に影響している。
ロルフィングのプロセスは、一つの意味では、「変容する自分を受け入れる」ことでもあるのかもしれない。ただ、人はとても変化に弱い。変化を恐れていると言ってもいい。
「変化する=自分で無くなってしまう/自分が何者かわからなくなる」
こういう気持ちが根底にある気もする。
「わからない」ことを平気で受け入れるのは、難しい。
特に情報量の多い、今の世の中、ググっちゃえばいろんな言葉で、いろんなことが説明されている。「わからないまま」おいておくのは、勇気がいる。
「わかった」方がいい感じもする。
ただ、「わかった気でいる」よりか「わかんないなぁ〜って思ってる」方が良いと思う。
知識として知っているだけでは、役に立たない。それを身体に落とし込む必要があって、その時に、変容が起きることもあると思う。

「自分が〜〜である」という「〜〜」の部分が、好ましいものであっても、好ましくないものでもありうる。けれど、割と、好ましいものには無頓着で、まぁ、それはそれで普通か。好ましくないものだった場合、他者に同意してもらいたがる。同意するのは簡単なことだけど、なぜかその同意で、その「〜〜」をより強化してしまう傾向が割とあって、困り者だ。

(あ、出かける時間なので、ここまで。ちょっと頭もぐちゃぐちゃしてきた。)
(2019年8月26日)